質問

Twitterをやっていると,自己承認を得たい、とか有りますが,どう思われますか 自己破滅型の犯罪もブログで取り上げられていますし世間は厳しいです

回答

承認欲求という言葉をネットだとよく耳にしますね。なんとなく、言葉が独り歩きをしている感も否めません。一体、承認欲求が高いとはどういう状態なのでしょうか。思うに「私すごくない? こんなことやったよ、こんなにたくさん色々なものを持っているよ。すごくない? 私ってすごくない?」という感じでしょうか。「あなたはすごいよ」と認めてほしいから承認欲求なのでしょう。

学術的に承認欲求を見てみるのならば、マズローの欲求五段階説から来ているのでしょう。一般の感覚と合致することも多いので、多くの本などで紹介されていますが、これが絶対的に正しいと証明されているわけではありません。欲求五段階説は、欲求はピラミッドのような層になっていて、下の層が満たされないと上の欲求が出てこないというものです。

一番下は生理的欲求です。(1段階目)

食べることや寝ること等生物が生きるのに必要な基本的な欲求です。当然のことですが、食べる、寝るなどの行為で満たされます。

次は安全欲求です。(2段階目)

安全に居たいという欲求です。皆さん命が脅かされるような場所で過ごすのは嫌ですよね。食べる、寝るなどの行為ができると今度は「安全に食べたい、安全に寝たい」という欲求が出てくるということになります。

次は、愛と所属の欲求です。(3段階目)

友人、家族、団体などから受け入れられ、所属したいという欲求です。ある集団に籍があるというのは我々の欲求なのですね。後ほど述べますが、この三段階目までは現代においてほぼ自動的に満たされるとする意見が多かったですが、最近はそうでもないのかなと感じています。

次が、承認欲求です。(4段階目)

3段階目が満たされるということは、何らかの集団に所属をしている状態ということになります。今度は、その所属している集団の中で認められたいという欲求です。例えば最も基礎的な集団として家族があります。この家族に生まれた赤ちゃんが、「あなたは大切な存在である」と認められることも承認欲求が満たされるということになります。

そして最後が自己実現欲求です。

承認から離れた本当の意味での「なりたい自分」に向かって突き動かされる欲求です。

少し脱線しますが、この欲求五段階説をめぐってマズローと「夜と霧」で有名なフランクルは意見を戦わせています。マズローは低次のものが満たされていないと高次の欲求は出てこないとしましたが、フランクルは自身の経験から「低次の欲求が満たされていない時こそ自己実現欲求がでてくるのではないか」ということを唱えていたりします。

Twitterなどでは4段階目の承認欲求について話題にされます。フォロワーとフォローしている人という集団に所属し、その中で「いいね」という目に見える形の承認を得るというのはなんだかそれっぽいですし、私も納得させられてしまうところがあります。1段階目から4段階目は「欠乏欲求」と言われています。つまり、足りないものを補うための欲求です。

現実世界で「認められている」という感覚が薄いと、承認が足りなくてTwitterという場所に舞台を移して「承認」集めをしているのでしょうか。なんだか、それっぽいで説明ですが実際のところはわかりません。このような説明はよく聞きますが、私自身腑に落ちているかと言われると、そうは思いません。ただ、一つ納得できることは、「すごいでしょ」という人には何らかの空虚感(という言葉が正しいかどうかはわかりませんが)があるのかなというところです。

私は思春期の臨床をやっていますので、若い人のお話を聴く機会が多いです。そうすると、よく「空想」に関する話を聴くことも少なくありません。これは、創作した例えですが、「恋人が大企業の社長で私のことが好きすぎてお金をくれることも含めてなんでもしてくれる」とか、「実は大規模なヤンキーチームの親分で自分の号令で何百人という子分が集まる」とかこのようなニュアンスの話を聴くことはしばしばあります。

きっとこの話も、Twitterだったらいいねが沢山つくのかもしれません。ただ、日常生活で話したら聞き手がシラケるような局面もあることでしょう。ただ少なくとも彼らは、この「空想の中の自分」でいいね集めをネット上でもリアルでもやっていかなければならないのです。話を聴いていると、その行為への「しんどさ」が語られることも少なくありません。

とても大変な作業を日常の中で行っていて、それを維持しないと自分の生活が成り立たないというのはとても辛いことです。だから、例えば「承認欲求が強い」とネット上で言われるような人の話をとても丁寧に聴いていると私は心底苦しくなるのです。そういう経験も沢山あるので、Twitterでそのような人が話しているのを見ても特にネガティブな気分になることはありません。

自己破滅型と言われる犯罪も本当に多いですね。ニュースを見るたびに苦しくなりますし、被害にあわれた方に心よりのお見舞いを申し上げたいと思います。ただ、自己破滅型の犯罪の場合、加害者自身も怪我をしたり時には命がなくなってしまうことも多くあります。加害者は加害者でもあり、自分自身の被害者でもあるといえるでしょう。もちろん、犯罪行為自体は許されるものではありませんので罰せられなければなりません。一方で、このような事件が繰り返されない為にも我々は試行錯誤をしていく必要があると思うのです。

ここからは、完全な持論でエビデンスも何にもありません。おおよそ専門的な見地から何かを言っている文章でもありませんので、鼻で笑いながら聞いていただくか、読んでいて嫌な気分になったらそっと閉じてください。

マズローの分類の中には3段階目に所属と愛の欲求がありました。現代では無条件で満たされるとしていましたが、それもなかなか難しい状況になっているのではないかなというのが私の感想です。もちろん、「所属がないから犯罪に走る」なんてことは言いません。そうでない人は沢山いますし、所属があっても犯罪を犯す人は犯します。ただ、所属がない状態というのは思った以上にダメージを食らうのではないかなと思っています。

だからこそ、多くの人に「人間らしく所属できる場所」を提供することはとっても大切なことだと思っています。

この前Twitterで面白い話を見ました。機織りを営んでいる企業で、昔は今でいうASD傾向の人がもくもくと機織りをしていて、みんなに評価されながら働いていたという話です。今では、色々なことが機会化されそのような場所も失われて言っているのかもしれません。

このようにキチンと評価され、キチンとした対価がもらえる所属の場があれば、生きることでダメ―ジを負う人は少しでも減るのではないかなという気もしています。

だから、私のいずれやりたいことは、色々な特徴のある人に何らかの形で「対価を保障した就労の場を設けること」です。あまり、答えにもなっていないような気もしますが、そのような場を設けて広めることで世間から厳しい目を向けられる人は減るのではないかなと、そんなことを思っています。