質問

職場?というか仲間間で意見の合わない人がいて、人間関係に苦しみます。話し合うこともできません。完全に意見が噛み合いません。こんな経験はありますか

 

回答

「こんな経験はありますか?」と聞かれれば、「そんな経験ばかりです」とお答えすることになると思います。

私の現在の職業は学校における常勤心理士です。生徒にかかわる職種としては、おそらく私だけが「教諭」ではありません。保健室の先生だって「養護教諭」です。教諭という職種の専門性は「指導」です。生徒に指導を行うことによって「人格の完成」を目指すのです。これは教育基本法の第一条に書かれています。

一方で私たち心理士の専門性は指導ではありません。臨床心理士の専門性は「面接」「査定」「地域援助」「研究」だと考えています。この違いはかなり大きいです。教員とは考えていることも違いますし専門性も違います。質的に違う存在だといっても過言ではありません。

当然、見解が異なることもたくさんあります。ちょっと極端な例を挙げてみましょう。(もちろんフィクションです)

A君は保健室登校をしています。しかし、身だしなみの規定も守ることなく素行も悪いです。必ず遅刻をしてきます。理由を聞くと「別に」とか「寝坊」の一言。とにかく口数が少なく、テストでもほとんど点を取ることができません。おまけに提出物も全くやりません。

すべての教員がそうだとは言いませんが、教員としてはかなり指導的なかかわりをする場面です。一方我々は査定を行い教員にフィードバックし、よりよい支援の在り方を共に考えます。場合によっては面接も行います。これだけの情報だと難しいですが、おそらく多くの心理職が「ただのさぼりである」とは受け止めないと思います。(もちろんそのように受け取る教員も大多数です)

細かいものも含めると月間で100ケース弱を扱っていますので、時に意見が食い違ったり、話が全くかみ合わなかったりすることもあります。個人的な好き嫌いで言ったら、嫌いな人も中にはいますし、そのような人と一緒にケースを扱うことも当然あります。

話は変わりますが、以前教職員組合の学習会で面白い話を聞きました。それは唯物論と弁証法の話です。唯物論とは、事象の見方です。物事は常に変動して固定化しないという考え方です。

AさんとBさんは非常に仲が悪かったとしましょう。唯物論で考えるとこの二人の関係性はずっと悪いまま固定化しないということになります。もっと悪くなるかもしれませんし、もっと良くなるかもしれません。この先どうなっていくかわかりませんが、関係性は変化していくのです。

一方で弁証法とは、ぶつかり合うことで物事は発展していくという考え方です。ぶつかり合わない方が発展がないのでよくありません。先ほどの生徒の例でいうと「これはさぼりだ」という人と、「いやサボっているだけではない」という人が意見をぶつかり合わせた方がよい支援につながるということです。どちらかが相手に合わせて黙ったり、喧嘩になるのを恐れて支援方針を合わせてしまった方が発展がないのです。

だから、意見が異なるとき私は非常に勇気を出します。支援を発展させるためには、思っていることをしっかり言わないといけないと思っています。さすがにお互いいい大人なので、論争のようになることはありません。職場には好きな人も嫌いな人もいますが、私はすべての教職員を尊敬しているというところは確固たる事実です。そのような信頼もあるからこそ安心して自分の意見を言えるというのはあるかもしれません。

結論を述べるならば、「かみ合わない経験もぶつかる経験もあるけれど、それは支援にとってプラスなことだしまあいいかな」という感じでしょうか。仕事のことで例えましたが、プライベートであれば嫌いな人とはそもそも会いません。