関東近県にある学校の常勤カウンセラー。アラフォー臨床心理士。

ずいぶん昔に、とあるワークショップに行った時、講師の先生が「それでは、自分の守護霊になったつもりでご自分のことを生まれてから今までを紹介してください」というお題がありました。

これが、思った以上に心に響くワークだったのを今でも思い出します。今回はちょっと守護霊になったつもりで岩国怜という人を紹介してみたいと思います。

生まれた時、雨が降っていた。その日当番だった産科の先生は、夜に用事があったらしく「夕方までに生まれてくれるといいんだけどねー」としきりに時計を気にしていた。医者の祈りが通じたのかどうかはわからないけれども、岩国怜は17時少し前に生まれた。

幼いころはとにかくよく動き回る赤ん坊だった。お散歩コースも同じ道を歩くというよりは、毎回新しいコースに挑戦するような子。よく言えばチャレンジ精神旺盛、悪く言うと落ち着きがない。父と母は一緒に自営業を営んでいたので、家族でゆっくり過ごすというよりは、幼いころから赤ん坊の岩国怜とその兄を連れて仕事に駆けずり回るという日々だった。

物心がつくと、落ち着きのなさはさらにパワーアップ。常に走り回り、周りにいる子を突き飛ばしながら動いていた。子供と遊ぶよりも、実家の仕事関係の大人と遊ぶことのほうが圧倒的に多かった。保育園のお迎えも、父や母が来るよりも事務所の従業員がお迎えに来ることが頻繁にあった。

小学校に上がると、生意気な態度と落ち着きのない行動で徐々に浮き始める。友達からも敬遠されるようになり、本当は友達と一緒にいたいのだけれども一人でいることが多くなる。一輪車は一人でできるので、3,4年生は一輪車をして過ごしていた。しかし、高学年になると、行動も落ち着いてきて徐々に友達ができる。小学校五年生夏休み、クラス替えで初めて仲良くなった子が岩国の家に遊びに来た。その時に「お前面白かったんだな。明日もきていい?」と声を掛けられ夏休みが終わるまでずっと一緒に遊んでいたのを、本人は大人になった今でも宝物のように話をする。

その友人が中学校・高校も一緒だったということもあり、中・高は友達にも恵まれ非常に充実した生活を送ることができた。文化祭でバンド組んだり、異性の友人と親密な関係になったりもしたそうだ。この時の友人たちは今もよい関係で、年に一度の忘年会は何があっても必ずみんなで集まる会になっている。

その後、ある大学の農学部へと進学する。しかし、地方の大学に通うことになったので生まれて初めての一人暮らし。中・高で成功体験があったのできっと楽しい大学生活になるのだろうと期待に胸を躍らせていた。しかし、そこで待っていたのはネットゲーム廃人への道だった。大学にはほとんど通わず、一日中ネットゲーム。ゲームのレベルはぐんぐん上がるが、リアルのレベルは全く上がらない日々。案の定留年し、さすがに危機感を覚えたこともあり、そこからは心機一転頑張り何とか卒業することができた。

就活は「数打てば当たるだろ」という安易な活動を行う。ただ、この方針は間違っていなかったようで、120社ほどエントリーしたところ内定をいくつかもらうことができた。幸いにも某大手企業に内定がもらえて浮かれていたところ、配属はなんと縁もゆかりもない地方。激務もあり5年ほど働いたところでリタイア。貯金だけはたまっていたので、これからどうするかと悩んだ挙句に、臨床心理師の指定大学院に進むことにする。幸いすぐに合格することができた。その時の同級生とは非常に仲良くなり、今でも頻繁に会う仲だ。そして、その同級生の一人と結婚することになる。

実習先では現在の勤務先である学校を選択する。その学校があまりにも水があっていた。周りの教員にも非常にかわいがってもらい、「岩国さんもうそのままここにいなよ」ということで、常勤心理職として働くことになり現在でも力を発揮している。